メモ

●論文(中村享一)

・「地方の時代」の建築を問う

第1章 序


第2章 「地方」とは

第3章 「ポスト地方」と「世界」

第4章 手法について

地方とは

第2章 「地方」とは

「地方」とはいったいどういう意味と位置づけなのかと疑問を感じます。私は最初に「地方」について「地方」をあまり感じたことがないと書きましたが、それは「地方」というこれまでの文字の意味を「中央の反対の部分にあって田舎とか外れ」とかの意味でのみ語られてきたからではないでしょうか。漢和辞典で文字一つ一つの意味を調べてみると、『地』はのびのびと広がる大地を意味し、又『方』は・ならべる・くらべる・・・の四角なものの隅・地・邦国・異方等の意味があと書かれています。

昔の人は天を円く、地を四角と考えていたので「地方」とは地の外れの隅っこと理解することができます。東方見聞録の時代ならまだしも現代ではそれはあてはまらない様な気 がします。 距離であるとか地形だけでこの「地方」が語られて良いのでしょうか。もちろん文化的な区域分けはあるでしょうが、今回その問題の捕え方とは違った捕え方をしてみようと思います。現象的には距離とか地形であったとしても、「地方」という文字自体が意味するものは他に無いのでしょうか。「方」は象形文字では、『  』二つの舟をならべてその舳先をつなぎあわせた形にかたどります。

とすると、「地方」という文字は『地と地をならべる』というように解釈することも可能です。「地方」と「中央」という関係でなく、別の意味も合わせて存在することになります。ここではそれを「ポスト地方」と呼びます。  「地方」というのはどういったスケール感でとらえれば良いのでしょうか。「地方」(地の隅)というスケール感は時代と共に拡大しながら変化してきたと考えられます。  

西洋の天動説の時代において「地」は平らであると考えられていました。「地」が平らでそれを天蓋が覆っていた。地動説により地が平らでないことが説かれ、さまざまな事実が実証され15・16世紀頃に確認されました。東洋においても地は四角く平らなものと認識されていました。概念としての「地方」(地の隅)は存在したのです。近代以降世界の地理上の認識が正確に理解され気候・風土・文化が伝えられることによって、世界の情報がかなり明確に理解される様になりました。地球は丸くて概念としての「地方」(地の隅)が存在しなくなってきたと考えることができます。

「地方」のスケール感を論ずるのにもう一つ重要な問題があります、交通手段の問題です。船→車→機関車→自動車→飛行機へと変化してきました。現在では日本からニューヨークでも12時間程度で行くことが可能となりました。動力機械の発達によりスケール感は変化して世界の交通ネットワークが出来上がりつつあります。そして時間と距離を複合させて考えなければならなくなりました。  

スケール感だけではとらえられない「地方」が近代より始まりそれが変化してきた様に考えられます。それは情報においての「地方」(地の隅)言い替えれば情報過疎地であります。情報技術の発達から電報・電話・ラジオ・テレビ・コンピューター等近代以降、情報伝達能力が及ぶ範囲は急速に進化しました。コンピューター・光ファイバー等・無線通信等の新しい技術の開発・実用化に伴い今まで一方通行の情報であったものが、相互で利用可能な状況へと急速に変化してきました。そして、情報の「過疎地方」であった「地方」が新しい情報機械によりその状況を変える事ができるようになりました。逆にその知識や情報機械がなければ中央においても情報の「過疎地方」が生まれる事になりました。いわゆる「地方」に住まいをして、世界の情報とコンタクトし行動を起こすことは、容易な時代へと変化しているのです。 

一宇一級建築士事務所
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