メモ

●2001.11.01

・建築の臨終と再生を考える
 旧長崎水族館

旧長崎水族館(c)淺川敏 旧長崎水族館(c)淺川敏

写真
(c) 淺川敏

第一回建築再生デザイン会議
「長崎会議 建築の臨終と再生を考える-旧長崎水族館」
JIA News 2001年11月号より
建築再生デザイン会議副議長 ・長崎総合科学大学卒業生
中村享一

建築物は所有者だけの物なのか

 建物の再生の計画と関わるとき現況の構造耐力の確認がまず重要であろう。ただし、この調査は所有者の意図が介入する場合があるので時として異なった立場の構造家の意見を聞くことも重要である。次にその建物の歴史(いつの時代にどのような社会背景で生まれたか)や経歴(どういった人々にどのように利用されてきたか)が重要である。その歴史や経歴の重要度によっては構造耐力上の判断も変わる必要があると考える。

 特殊な事例であるが広島の原爆ドームは何故残ったか、幼い頃被爆した少女が亡くなる前に「広島の体験を何か形ある物に残して記憶にとどめ後世に伝えることが大事だ」と思っていて、同級生の呼びかけが保存に繋がったと聞いた。建築物が発する情報力の大きさを感じずにはいられない。旧長崎水族館も被爆と強く関係している。被爆地長崎を国際文化都市へと再生するための事業として、特別の意味を込めて生まれた施設であり、旧友などを亡くした武基雄が設計を担当した歴史的建造物である。

 再生計画が現在の所有者である長崎総合科学大学だけの判断で計画が実行されることで良かったのか、はなはだ疑問に感じている。前所有者(長崎県や長崎市を含む第三セクター)からは解体費用を含んで譲渡されたと大学は主張しているが、そこにも大きな問題がある。旧長崎水族館は再生するにふさわしい建物であって前所有者も関わる必要を感じている。公共建築の真の所有者は誰であるのか、市民の税金や寄付金で建設された建築物はどのように解体や再生の合意を組み立てる必要があるのか。その時に建築家はどのような立場で意見を言い、業務を遂行する必要があるのだろうか。

 大学側は建物の約半分を残し再生を計ることが現実可能な最善の計画であると説明している。しかし私は当初のデザインを生かしたり、継承するようには見えないので問題であると感じ、「旧長崎水族館の再生を考える会」を作り、知り合いの建築家たちに計画のファザードデザインを添付して意見を問うてみた。頂いたコメントは大学の理事長と建築学科宛てに送っていたのだが、大学の方針は何も変わらず建物の解体(全体の半分)は8月初旬に終了した。

 変更不可能の理由は簡単に言うと
時間がない、金がない、文部科学省の学校許認可の条件に合わない。というように聞こえる。
そのようなことで良いのだろうか。大学の評議員である建築学科教授は「計画が実行された場合5年後には何らかの結果がでる、結果は使われ方次第だ」と言っているが、いちかばちかで進めて良いのだろうか。

 まだ再考することは可能だと思う。大学には21世紀の環境教育の有効な実践の機会として再考を願いたい。また、建築家には発注者の利益と共に地域社会の利益も共に考えるプロセス計画の提案をお願いしたい。建築が社会資産であるとするならば資産を食いつぶし未来に受け継ぐ物がない環境は好ましくないと考える。

一宇一級建築士事務所
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