メモ

●2011.12.01

旧大島小太郎邸保存活動支援

佐賀新聞

「市民が考える観光都市・唐津の未来像公開シンポジウム」
佐賀新聞2010年6月20日掲載
パネリスト中村享一コメント抜粋

唐津は建築物と武士道が一体化された状態で残っている数少ない都市。その独自性をうまく利用すれば、観光資源以上の重要な意味を見いだすことができる。日本を代表する建築家の辰野金吾、曽禰達蔵、村野藤吾がなぜここで生まれたのか。唐津の風土が大きく影響していると思う。特に村野の建築には唐津の風土と密接な関係を感じる。城や塀の周辺で育った生活体験が、デザインという形で開花したように、彼らを生んだ唐津の土壌を評価すべきだ。
形ある物は多くのメッセージを与えてくれる。旧大島邸も建物があるからこそ大島小太郎の人間関係が後世に伝わる。彼が高橋是清に習い、そこに辰野金吾もいた。なぜ辰野があの場所に旧唐津銀行を設計したのか。そこには初代頭取の小太郎も関係しているはずだ。そういう人物との関係が一緒にあるのが歴史。物がなくなれば歴史も同時に消えてしまうことを考えてほしい。30年間と今を比べたとき、果たして好ましい景観に変遷してきたのかを顧みることで未来が見えてくる。大量消費の時代を追いかけるのか、真に豊かな都市像とは何なのか。ここに住む一人一人が考える時に来ている。

調査

建築実測調査2010年2月10日

旧大島邸

※大島小太郎とは 宮島醤油HP「去華就実」参照

保存活動の経緯

佐賀県唐津市の大志小改築に伴う旧大島小太郎邸解体に対する保存活動を支援しました。旧大島邸は、近代唐津の文化と経済界を牽引した唐津銀行初代頭取・大島小太郎の私邸。大島は、唐津興業鉄道や唐津築港会社、唐津電灯会社、佐賀県初の図書館設立、北九州鉄道整備など近代唐津の発展を支えました。

唐津市城内地区の5,300uの敷地に1879年(明治12)頃に建築された木造平屋(一部2階)建て。明治期の近代和風建築の特徴が随所に見られ、江戸以降の武家屋敷の面影を伝える希少な遺構です。「敬日庵」と呼ばれる茶室は、黒檀の床柱や曲がり木を用いた垂れ壁など、意匠が秀逸。書院や欄間の細工、違棚小襖の障壁画の意匠も優れています。

古きよき町並みが消えてゆく危機感を強く感じた地元の主婦らが中心となって、保存を訴える署名活動や市民シンポジウムが企画され、代表の中村もパネリストとして参加しました。旧大島邸学術調査団(団長 西和夫)のメンバーとしても参加し、こられの調査報告や提言、市民の熱意ある取組によって、全体を移築保存されることになりました。

現在、唐津市では、城内地区のその他の文化的資源も含めた地区全体のまちづ くりの観点から、文化的資源を活用した城内まちづくり計画を目指しています。

 

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